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カディス(スペイン)

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セビリア

かつて、セビリアを流れる川と桟橋は多くの帆船と黄金で満ち溢れていた。そしてこの町は“アンダルシアの華”と詠われた。
セビリアの中心部を流れるグアダルキビル川にかかるイサベル2世橋からの眺め。中央は「黄金の塔」。13世紀前半にイスラム教徒によって建築された。正12角形の塔は外敵を監視する望楼であった。かつては上部が黄金の陶板で覆われていたという。かつて反対側の岸には銀の塔があり、夜間は二つの塔を鎖で結び、敵船の侵入を防いだという。岸辺には、リバークルーズの発着場も見える。

アンダルシア地方の内陸部に位置するセビリアだが、かつてこの町は外洋に向けた港町であった。

その主役が市の中心部を滔々と流れるグアダルキビル川。現在では川底も浅くなり、いくつかの橋も架けられ大型船の航行は不能となってしまったが、大航海時代、この川には多くの帆船が行き来していた。1519年には世界一周に向けてマゼランもこの町から旅立っている。

15世紀の新大陸発見以降、セビリアには大西洋を渡ってくる大量の金銀が集められた。交易を一手に独占したこの町の富は、想像を絶するほどであった。

モーツアルトの『フィガロの結婚』 『ドン・ジョバンニ』、 ロッシーニの『セビリアの理髪師』、 そしてビゼーの『カルメン』。 錚錚たる歌劇の名作が、この町を舞台としたことも偶然ではない。時代の頂点にある絢爛たる華やぎは、現代でいえばパリとニューヨークを合わせたような町。男女を巡る恋の物語には、この港町こそが最高の背景であったのだろう。

「睦言を交わすのに1日、手に入れるのに1日、相手を取り替えるのに2日、忘れるのはたったの1時間」と嘯き、放蕩の限りを尽くしたのはかのドン・ファン(ドン・ジョバンニ)だが、経済的な繁栄がもたらす退廃もこの町の大きな魅力であったに違いない。

「壮大なカテドラル内部。奥行170、左右76、高さ40メートルもの聖堂は、ヴァチカンのサン・ピエトロ大寺院、ロンドンのセント・ポール大聖堂に続いて 世界で3番目の規模を誇る。 もともとはイスラムのミナレット(光塔)であった高さ98メートルのヒラルダの塔。外壁のレリーフなど、イスラムが遺した最も美しい建造物の一つ。 カテドラルの荘厳なステンドグラス。
カテドラルの鐘楼「ヒラルダの塔」から市街を望む。 市内観光の主役は馬車だ。

”アンダルシアの華“ と詠われ、 ”Sevilla Maravilla/セビージャ・マラビージャ (セビリアは素晴らしい)“ とも称えられるセビリア。カテドラルとヒラルダの塔、ミニ・アルハンブラ宮殿ともいわれるアルカサル (王宮)、 黄金の塔、1929年の博覧会の建造物が多く残るマリア・ルイサ公園、ルネッサンス様式にムデハル様式を加えた典型的なセビリアの邸宅ピラトの館、カルメンの舞台ともなった旧タバコ工場(現セビリア大学)などなど、この町がその経済力によって築き上げた遺産は、今も少しも色褪せていない。

黄色の色使いが魅力的で上手なセビリアの旧市街、サンタ・クルス街。この色は「アレナ・デ・オーロ=黄金の土」(Arena de oro)といわれ、闘牛場で使用される土でもある。
アトリエでフラメンコのレッスンをする福田敦子さん。彼女は31歳、20歳のときにスペインに留学した。セビリアはとても暮らしやすい町と話す。

取材の過程で、当地に暮らす一人の日本人女性と偶然知り合った。フラメンコダンサーの福田敦子さん。ステージに立ちながら、教師としてもスペイン女性に舞踏を教えている。
彼女のアトリエを訪ねると、その建物は16世紀にコルテス(スペインのメキシコ征服者)が住んでいたものと教えてくれたのには、正直驚かされた。

時を超えて輝きを放つセビリア。フラメンコのステップと手拍子はいつしか、永遠を刻むリズムのように聞こえてきた。

 
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