工房の一角には、森に突き出た小さなテラスが設けられている。木漏れ日を浴びながら話を伺っていると、突然、失礼と言い残して大木さんはあわただしく釜に走って行った。後で聞けば、「音で分かるんです」とのこと。もちろん当方にはなにも聞こえなかったのだが。
大木さん一家は島の出身ではなく、内地(島では多くの人がこう言う)からの移住組だ。
「生まれは神奈川ですが、一家で小笠原に移住する前は東京でした。家族で一度観光に来て、僕が中学生の時に突然小笠原に引っ越すことになって。その経緯や動機はよく覚えていません。なんとなく、そうなっちゃって(笑)」
眞氏は島で建築関係の仕事に携わった後、10年ほど前に製塩を始められた。
「歳で仕事がきつくなったみたいです。そうした時期に塩の生産が自由化されました」
現在スタッフは総勢3名。洋さんに奥さんの緑さん、そして5年ほど前の先代の時代から手伝っている”ミーさん“こと三浦健治郎さん。
奥さんとは結婚3年目。緑さんも一旅行者として小笠原が気に入り、10年程前に洋さんと知り合うことになった。工房での彼女の担当業務は検品やパッケージング。
「私は、全然大変じゃないよね?」と、緑さんが洋さんに問いかけると、
「いや大変です(笑)。僕よりもむしろカミさんの方がすべて手作りですから」
三浦さんは大阪の出身。23年前に初めて小笠原を訪ね、15年前に移り住んだ。先代とはカントリー音楽のバンド仲間で、三浦さんはドラムを担当していた。
「現在はメンバーがいなくなって音楽は休止状態。できればジャズをやりたいんだけど、狭い島では、なかなか音楽をやる人間がいなくてね」と、残念そうに話す。
大木さん夫妻や三浦さんのように、小笠原には都会とは別世界の自然環境に憧れて移り住んだ人々も多い。また島の人々もそれを開放的に受け入れてきたようだ。
お茶をいただきながら、島のゆったりとした生活のリズムや、暮れなずんでいく夕方の魅力に話が弾む。
「島に来た頃は、毎日夕方になると海を見に行ったな」と、三浦さんが懐かしめば、
「そうそう。でも、最初だけね」と緑さんが笑う。
塩の小さな工房は、とても居心地のいい空気に満ちあふれていた。島には、誰もが自然体になれる不思議な力があるようだ。小笠原の塩には、その人間らしさが隠し味として利いているような気がした。
|