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小笠原 父島

東京からはるか南へ、約1000キロ。
そこは、太平洋の大海原に囲まれた亜熱帯の楽園、小笠原。ホエールウォッチングや多彩な海のアクティビティで、にっぽん丸のクルーズのなかでも、特に人気を博している小笠原へのクルーズ。
今回は、その大自然の魅力と、島に生きる人々を訪ねた。
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小笠原 父島

兄島との狭隘な水域、兄島瀬戸に面した美しい入り江、宮乃浜。海中にはサンゴ礁が見られ、熱帯魚も多く、ダイビングやシュノーケリングの絶好なポイントともなっている。正面に見えるのは兄島。にっぽん丸は、青い空と紺碧の海を求めて、小笠原に向けて針路をとる

その名高い塩の工房は海岸ではなく、案に相違して緑まぶしい亜熱帯の森の中にあった。村営バスが走る幹線道路から脇路に入り、さらに細い未舗装の道を登って行くと、行き止まりに小さな建物がある。しかし「小笠原の塩」と記された看板や表示はどこにも見当たらない。

住所は“小笠原村父島字小曲コーヒー山”。珍しい名の住所表示の通り、この一帯では明治時代にコーヒーの栽培が試みられ、現在もわずかながら国産唯一のコーヒーを生産している。

声をかけると、若き2代目である大木洋さんが笑顔で迎えてくれた。
「ちょうどよかった。もう少しで塩を上げるところです」
屋内に入ると、浴槽のような釜には、炊き上げられた塩の結晶が満ちていた。
手作りの塩ならではの極上の味覚で、評価の高い小笠原の塩。洋さんの父・眞さんが始めた事業だが、3年ほど前に事故で急逝された。そのため、塩作りは一時中断を余儀なくされたが、当時静岡にいた長男の洋さんが遺志を継いで続けることになった。そして現在3年目を迎えている。

大量生産の塩を舐めると、しょっぱさ(辛さ)が先に立ち、わずかな渋味が口後に残る。しかし小笠原の塩の柔らかなしょっぱさは、味わいが深く渋みは一切感じない。それは単に塩化ナトリウムとしての元素記号的な塩ではなく、海水に含まれるマグネシウムやカルシウムなど、さまざまな成分が馥郁と生きているからだ。
海水は二見湾に面した野羊山近くの海から採取される。
「あの辺りは潮がよく廻るので、適した海水が採れるんです。それを一つの釜に500リッターほど入れます」
それからほぼ一昼夜をかけて炊き上げる。3つの釜から誕生する白く輝く結晶は、1日にわずかに30から40キロほど。豊かな小笠原の海の恵みを最高の塩に仕立てるには、微妙な温度調整や時間など、気遣いと労力が必要となる。
手間がかかる仕事ですね、と言うと、「かかるというよりも、手間をかけているんです」と、大木さんは笑った。

「小笠原の塩」の全スタッフ。中央が大木洋さん、そして奥さんの緑さん。左は“ミーさん”と呼ばれる三浦さん。 正午前、前日の午後から炊き続けられた海水は、白く輝く塩に変貌する。作業的には、この塩が誕生する数時間が特に勝負。一番苦心することは、小笠原の塩としての味を整えることだという。3つの釜はチタン製、以前はアルミニウムの釜を使用していたが、塩による影響で2カ月ほどしかもたなかったそうだ。

工房の一角には、森に突き出た小さなテラスが設けられている。木漏れ日を浴びながら話を伺っていると、突然、失礼と言い残して大木さんはあわただしく釜に走って行った。後で聞けば、「音で分かるんです」とのこと。もちろん当方にはなにも聞こえなかったのだが。

大木さん一家は島の出身ではなく、内地(島では多くの人がこう言う)からの移住組だ。
「生まれは神奈川ですが、一家で小笠原に移住する前は東京でした。家族で一度観光に来て、僕が中学生の時に突然小笠原に引っ越すことになって。その経緯や動機はよく覚えていません。なんとなく、そうなっちゃって(笑)」

眞氏は島で建築関係の仕事に携わった後、10年ほど前に製塩を始められた。
「歳で仕事がきつくなったみたいです。そうした時期に塩の生産が自由化されました」
現在スタッフは総勢3名。洋さんに奥さんの緑さん、そして5年ほど前の先代の時代から手伝っている”ミーさん“こと三浦健治郎さん。

奥さんとは結婚3年目。緑さんも一旅行者として小笠原が気に入り、10年程前に洋さんと知り合うことになった。工房での彼女の担当業務は検品やパッケージング。
「私は、全然大変じゃないよね?」と、緑さんが洋さんに問いかけると、
「いや大変です(笑)。僕よりもむしろカミさんの方がすべて手作りですから」

三浦さんは大阪の出身。23年前に初めて小笠原を訪ね、15年前に移り住んだ。先代とはカントリー音楽のバンド仲間で、三浦さんはドラムを担当していた。
 「現在はメンバーがいなくなって音楽は休止状態。できればジャズをやりたいんだけど、狭い島では、なかなか音楽をやる人間がいなくてね」と、残念そうに話す。

大木さん夫妻や三浦さんのように、小笠原には都会とは別世界の自然環境に憧れて移り住んだ人々も多い。また島の人々もそれを開放的に受け入れてきたようだ。

お茶をいただきながら、島のゆったりとした生活のリズムや、暮れなずんでいく夕方の魅力に話が弾む。
「島に来た頃は、毎日夕方になると海を見に行ったな」と、三浦さんが懐かしめば、
「そうそう。でも、最初だけね」と緑さんが笑う。
塩の小さな工房は、とても居心地のいい空気に満ちあふれていた。島には、誰もが自然体になれる不思議な力があるようだ。小笠原の塩には、その人間らしさが隠し味として利いているような気がした。

作業の合間にはテラスで談笑したり本を読んだり、ゆったりした時が流れる。周囲には菜園もあり、時には農作業も。うらましいような環境と時間に満ちている。下写真は、樹木に囲まれた工房。
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