「返還後に島の職員に主人が応募して、1977年に移住してきました。もちろんそれまでは来たことはありませんでした。あまり考えずに、主人が言うから、じゃあ、行ってみようかって(笑)」
最初の赴任地は母島。当時はそれはそれは想像以上の僻地だった。
「テレビも電話もないけど、若かったからでしょうか、かえってその不便さを楽しめました。今思えば、よく来ましたよね(笑)。商品もあまり手に入りませんでしたから、子どものバッグや帽子など、とにかくなんでも作りました」
そうした生活のなかで出会ったのがタコノ葉細工だった。しかし伝統的技術は強制疎開で中断されていた。延島さんは島のお婆さんに聞きながらかつての技を記憶をたどり復活させ、そして自らの工夫も加えていった。
「島の気質は開放的。いろいろなものを受け入れてくれる。ですから私にとっては狭い社会での人間関係の苦労がありませんでした。これまでは本当に教えてもらうことばかり、多くのことを島からいただきました。でも島にはなにも還元できていなくて…」
タコノ葉細工を続け、少しでも広めていくことが、せめてもの恩返しと話される。その成果もあって、最近は延島さんの研究会に参加される若い女性も増えているそうだ。 |