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秋の旅路 −松山−

文人たちが訪れた秋の旅路 −松山−
小説「坊ちゃん」の舞台“松山”を巡る秋の旅路。
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松山

ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。(略)日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。 夏目 漱石(慶応3年〜大正5年) 小説・坊ちゃんより

ぶうと云って大分からのフェリーがとまる。窓の外には四十島。夏目漱石の小説『坊っちゃん』ではターナー島と呼ばれていた。フェリーターミナルはすぐに知れた。日本ひろしと言えどもターミナルの建築美とまわりの景色の美しさがこれほどまでマッチした港もそうあるまい。

松山の町はどこもかしこも「小説坊っちゃん発表百年」で盛り上がっている(2006年)。もともと団子でも野球場の名前でもとにかく何でも「坊っちゃん」とつける土地柄だったが、今年は百年の節目ということもあり、いっそう熱を帯びている感じだ。

ここではたと気がついた。「坊っちゃん」では松山はボロクソに言われていたではないか。不思議に思い、この4月29日には道後温泉に「漱石坊っちゃんの碑」を建てるなど百年記念行事の中心的な存在「松山坊っちゃん会」会長の頼本冨夫さんに聞いてみた。

「坊っちゃんでは松山は材料として使われているだけであって、あくまでも漱石が言いたかったのは正義と正直者が損をする日本全土の風潮なのです。そして永遠に読み継がれる名作の舞台として登場することで、かえって松山人の誇りなのですよ」

漱石が実際に教鞭をとった松山中学跡や下宿先の愚陀仏庵などを見てから、ポ〜ッと音立てて走るマッチ箱のような坊っちゃん列車に乗る(※松山観光港に近い梅津寺パークには坊っちゃん列車の1号機関車が当時の姿のまま保存され鉄道記念物に指定)。ごろごろと10分ばかり動いたと思ったら、もう道後温泉だ。乗車料は3銭ならぬ300円である。

この日は、ホテル八千代に泊まった。出された坊っちゃん団子を食べて、地下1階の坊っちゃんの湯(女湯はマドンナの湯)でひと汗流し、夕食をいただいてから、道後温泉本館へ行く。漱石は松山をボロクソに言ったが、この温泉だけはほめていたっけ。3階の坊っちゃんの間には文庫本「坊っちゃん」が置いてあったので「湯の中で泳ぐべからず」の部分を読みふける。

【愚陀仏庵】
漱石先生が松山赴任中に下宿していた愚陀仏庵。愚陀仏とは漱石の別号。俳句の革新者・正岡子規と50日間あまり同居したことでも知られる。2階が漱石、1階が子規の部屋だったとか。現在の建物は城山のふもとにある萬翠荘の裏手に復元され、本来の場所とは異なる。

【軽便鉄道・伊予鉄道】
マッチ箱のような汽車、と書かれたのが明治21(1888)年に開通した日本最初の軽便鉄道・伊予鉄道。昭和半ばに廃止されたが、2001年にディーゼル機関車として復元され、松山の中心街から道後温泉までを時速10キロでのんびりと走っている。

【道後温泉】
「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来たものだから毎日はいってやろう」と、漱石先生も道後温泉だけはお気に入りだったぞなもし。本館では小説にちなんで赤手ぬぐいが石けんつき50円で貸し出され、200円で買うこともできる。

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