2006年1月、志布志町は有明町そして松山町と合併して志布志市として生まれ変わった。古くから港とともに生きてきた志布志に、新たな特色が加わった。単なるゲートウェイとして通過するにはもったいない。そんな志布志を深く極めてみよう!
その昔、現在の鹿児島県・大隅半島に救仁院(くにいん)と呼ばれる土地があった。その救仁院の「志布志津」という地名が初めて文献に登場したのは中世、鎌倉時代末期の1316年のことだという。津、という表記からもわかるように、志布志は志布志湾に注ぐ前川の河口に開かれた古くからの港町だった。中国との地理的な近さもあり、その交易で得られるばく大な利益や先進的な文明が流入する港ということで、志布志は中世から戦国時代にかけてこれを手中に収めようとする有力者の争いの場ともなった。その名残りが、南九州随一といわれる山城・志布志城である。江戸時代に入って志布志は島津氏の重要拠点となり、港は琉球(沖縄)や上方、さらに江戸との交易による廻船で空前の繁栄をみせた。幕末には鎖国下に行われた私貿易の基地として、「志布志千軒まち」と呼ばれる大隅半島第一の町へと成長していた。
このようなにぎわいも鎖国の廃止による廻船業の衰えで、急速に失われていった。大正時代になって鉄道が開通し、港が整備されるようになって志布志はようやく昔日の面影を取り戻していく。
古くは中国や東南アジアなど海外との交流、琉球から江戸までと結ばれた交易ルートの拠点、そしていまは「さんふらわあ」がやってくる南九州有数の港町となった志布志。古来より連綿と受け継がれてきた港町としての歴史と、志布志市の誕生で新しく加わった魅力。ゆっくり味わいたい町、それが志布志だ。